沖縄県立看護大学卒業、沖縄県立看護大学大学院(博士前期課程・博士後期課程)修了。看護師として病院や訪問看護ステーション勤務を経て、現職。要介護高齢者の社会貢献についての研究に取り組んでいる。
老年保健看護では、高齢者が老いを自覚し、老いを受容し、老いに適応することを支援します。自らが体験したことのない「老い」については、当事者から学ぶことを大切にしています。これまで、素敵な高齢者にたくさん出会い、看護師として、そして人として、成長させてもらいました。そのなかでも、印象深い出会いを紹介したいと思います。
私は、修士論文で要介護高齢者の社会貢献の実態を調査したときA氏に出会いました。A氏は80代で、脳梗塞後遺症がある要介護3の男性高齢者です。A氏は、若いころから仕事の傍ら、何でも屋として工具を持ち歩き、地域の人の困りごとに対応してきました。要介護状態になってからも、いかに人生を楽しむかを考え、日差しの強い日や雨の日でも一人で外出できるよう、パラソル付電動車いすを自作するなど暮らし方を工夫しています。A氏は、「地域の人が観光活動を頑張っているのを手伝いたい」という思いがあり、パラソル付電動車いすで出かけ、道行く旅行者に自ら声をかけ、観光場所や飲食店を案内します。また、「要介護状態になると恥ずかしがって外出したがらない人もいる。地域の子どもたちが、いつか身体が不自由になったときに、私みたいな暮らし方もあると分かってほしい」と、地域の子どもたちの下校時間には、スクールゾーンを散歩して子供たちに挨拶するなど、障害をもちながらの生き方を実践して示していました。「地域の子どもたちは、私を避け逃げて行ってしまう。障害者もひとりの人間として接してほしい」といつか分かってくれることを期待し、諦めずに実践を続けていました。このように、A氏は旅行者に対しては観光案内人として、地域の子どもたちに対してはノーマライゼーションの推進役として社会貢献していました。私は、A氏との出会いを通して、要介護高齢者だからできる社会貢献があることを学びました。
そのような要介護高齢者の強みを活かした社会貢献を推進する必要性から、博士論文では、社会貢献への支援に取り組みました。そこでB氏と出会います。B氏は70代、要介護5の男性高齢者です。難病により首から下は自分の意思では動かせずねたきり状態です。60代で発病してから障害者支援施設に入所しますが、自宅で自由に暮らしたいと家族の猛反対を押し切り一人暮らしを始めます。B氏は、「同じ病気を抱える人に、自分の生活の状況を伝えて、将来動けなくなってもこんな暮らしができるという希望になりたい」という思いがありましたが、誰にも取り合ってもらえず、ケアの受け手に終始していました。私は、様々な困難に向き合い“人が生きることはどういうことか”を考え続けてきたB氏が行う情報発信の価値を支持し、一緒に活動することにしました。B氏は、顎でレバーを操作して文字入力を行うため、少しの文章を打つのに数時間かかりますが、SNSに掲載したい内容を、私に頻繁にメールで知らせてきました。私は、B氏の没頭している様子を感じ、どこにそんなエネルギーがあるのかと勢いに圧倒されながらも、相棒になった気分で共同作業を楽しみました。音声入力の導入で活動はより加速し、B氏は、あっという間に自分で記事を投稿するだけでなく、他の人の投稿にコメントをしたり、コメントをもらったりとSNS上の交流を楽しめるようになっていました。私はB氏との出会いを通して、看護師には、自己を活用して要介護高齢者に応えようとする態度に加え、要介護高齢者の力を信頼して委ねる態度を持つことで、ケアしケアされながら共に看護実践を創ることができることを学びました。
これまでの出会いを通して得ることができた学びや看護のおもしろさを、教育活動や地域貢献活動に活かしていくことが私の役目だと考えています。実際にB氏には、大学の講義のゲストスピーカーや、市民向けの講演会で話題提供をしていただくなど、今も相棒として活動しています。B氏のユーモアを交えつつも力強い語りに、学生も市民の方も引き込まれ元気づけられる様子が伝わってきます。これまでのたくさんの出会いに感謝しつつ、これからも看護実践を楽しんでいきます!