自主投稿をしてくださいました!
この写真は、かつて私が行った大観峰で撮影していただいたものです。大観峰は熊本県阿蘇山にあり、標高は935mもあります。阿蘇の北外輪山の最高峰であり、阿蘇カルデラやそのカルデラ壁、そして中央火口丘である阿蘇五岳をはじめ、九重連山も一望することができます。この大観峰の景観をみていると、人間とはなんてちっぽけな存在であると思ってしまいます。
2012年に昭和大学保健医療学部看護学科を卒業後、2012年から東海大学医学部付属病院の集中治療センターに勤務。2014年、東海大学大学院健康科学研究科看護学専攻クリティカルケア看護学分野にて修士(看護学)を取得し、2018年、東北大学大学院医学系研究科機能医科学講座心療内科学分野にて博士(障害科学)を取得。2018年4月から東京大学大学院医学系研究科附属グローバルナーシングリサーチセンターで特任研究員として看護理工学の手法を学び、2019年以降からは関東学院大学や高知大学において助教として成人・高齢者看護学の教育研究活動に従事。2023年4月から看護学の学び直しのため神奈川県立保健福祉大学実践教育センターの教員・教育担当者養成課程看護コース(厚生労働省認可である専任教員養成講習会)に所属し、さらなる看護教育の発展に取り組んでいる。
私が学部生だった頃、「Clinical Wisdom and Interventions in Critical Care, A Thinking In Action Approach
(ベナー看護ケアの臨床知:行動しつつ考えること)」という本を読んだことがあります[1]。この本の著者はPatricia
Benner博士であり、私が集中治療センター(ICU)で働いていた頃や、大学院時代にも何度も読み返していた本の1つです。この本では、ICUの熟練看護師が臨床実践の中で考えたこと、予測したことが質的インタビューによって詳細に記述されており、その言葉の意味を解き明かし、看護実践(その行動がどのような思考によって行われたのか)等が細かく言語化されています[1]。まるで自分がベッドサイドにいるかのような感覚をおぼえました。私が初めてベナー博士の本を読んだときに衝撃を受けたのを今でも覚えています。
そして時代が経ち、現在は私が教育研究活動をする立場になりました。日々、目まぐるしく変化をしていく医療現場で、大学教員はどのようなニードをつかみ、教育研究に重きを置くか重要な課題であると考えています。そして、大学教員にも中間評価というところで、学び直しをする機会が必要ではないか思っています。これは私が、神奈川県立保健福祉大学実践教育センターに入学したきっかけでもあります。
今月の回では、助教を経験してきた私が、初心にもどって「専任教員養成講習会」(厚生労働省認可である講習会)を受講することで学んだ事をいくつか紹介させていただきます。
私は、看護とは「ケアする」、つまり「気づかう」、「思いやる」ことであると考えています。本来、卓越した熟練看護師は、人のフィジカルアセスメントをとおして、人の生きる力を感じ取ることができます。人と関わる空間の中で得られる皮膚の温かさや、人の表情から今日の体調の変化や痛みの有無など、人が言葉にしにくいことにも気づくことができ、まさに“ケア(care)する”気づかうことができます。これが本来の卓越した看護ケアであると考えます。
私が新人看護師の頃、印象的であった看護ケアの場面がありました。それは私が全くの新人であり、患者を受け持つことに慣れていなかった頃の場面です。その患者は、脳卒中による片麻痺があり、摂食嚥下障害がある患者でした。上手く摂食嚥下できないことから、患者は食事摂取を拒否していました。私は、なんとかして安全に摂取できるよう、試行錯誤しながら看護ケアを考えました。しかし、上手くいかず、諦めかけていた私に対して、上司であり、尊敬している熟練看護師は、「どうすれば、患者に食べたいと思ってもらえるのか」、そのことを考える重要性を教示していただきました。私は考えました。そのためには患者自らが「生きたい」と思わなければ、食べなくなるし、排泄もどうでもよくなる、歩かなくなる、このように連鎖していく、つまり根本に“どうすれば生きたい”と思ってもらえるのか、それが重要である、と考えました。私はその場面を経験し、例えば“全然食べることができない人が、少しでも食べることができるように、少ししか食べることができない人は、食べる量が少しでも増えるように、むせで困っている人や誤嚥性肺炎を繰り返す人は、安全に食べることができるように”といった看護を試行錯誤しつつも考えることが必要であると考えました。そこに“ケアする”(気づかう、思いやる)という看護の神髄があるように感じます。今後、次世代の保健医療を担う看護学生の教育には、対象者が安全で安楽な療養生活がおくれるようケアする、そのことを学生自らが内省的考察し、常に“ケアする”という意味を考えつつ行動し、演習や実習に取り組んでいただきたいと思っています。そして、私たち看護教員は看護学の専門性と独自性を教授できるよう、日々のリフレクションや継続的学習が求められていると思っています。
また近年、看護師の多種多様な経験により、臨床現場では看護実践能力に差が出てしまう場合があります。そのため、看護実践を標準化する取り組みもおこなわれています[2][3]。看護ケアを標準化するには、これまで蓄積されてきた科学的論文のシステマティックレビューや、基礎研究で得られたエビデンスを臨床試験で実証し、その確実な効果を臨床現場へと還元し、その効果をまたフィードバックする、このようなトランスレーショナルリサーチ(Translational
Research,
TR)の取り組みが必要となります。いくつかの大学では、文部科学省から橋渡し研究支援機関の認定を受け、トランスレーショナルリサーチが戦略重点科学技術として推進されています。つまり、「基礎研究の優れた成果を次世代の革新的な診断・治療法の開発につなげるための橋渡し研究」と定義されています。その中で、私たちが取り組んだ研究課題はいくつかあります。その一つに、排泄障害に対するアセスメント技術と看護ケアの開発があります。私自身としては、「機能性消化管疾患による排便障害に対する革新的な看護技術の開発」という研究課題を立て、研究活動をおこなってまいりました[4][5][6]。便秘や下痢、または便失禁などは、健常者においても時々生じる場合があります。しかし、患者や療養者の中には、これらの症状を訴えることができず、困っている人たちがいます。困っている人たちを助けるのが看護師の仕事です。しかしながら課題もあります。従来のフィジカルアセスメントでは、看護師個人の技術がその成否を左右しやすい視診や聴診、触診に頼っており、標準化が難しい、つまり、便秘や下痢の有無、便失禁の可能性を把握することが確実ではなく、臨床知(経験的知識)[1]に基づいてケアをしている現状がありました。そこで、産学官連携による共同研究において、超音波画像診断装置(エコー)による排泄障害の可視化に取り組んでいます。エコーは、非侵襲的であり、簡便性、リアルタイム性に優れており、看護師でも使用が可能な医療機器です。今後も、研究を継続し、次世代の看護実践へ還元できるよう、看護技術の開発に取り組んでまいります。
最後に、本邦においては、少子化、超高齢化社会にともない、多くの課題に直面しています。世界を概観してみると、戦争や虐殺、病いに餓え、感染症、大規模な自然災害など、悲しみや苦しみといった感情に満ち溢れた側面もあり、気を許せない時代となっています。そのような難しい現代において、今後の保健医療には新たなテクノロジー導入による遠隔医療や看護技術の開発と標準化が不可欠であると私は考えています。社会情勢が日々変わるように、保健医療もその変化に応じて試行錯誤しつつも、変化することが求められています。今後、誰もが安全で安心できる社会となり、適切な医療提供がおこなえるよう、大学教員として教育研究活動をおこなってまいります。